ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのオリジナル・メンバーで、音楽史において、サウンドとカルチャーの両面で巨大な変革をもたらし、今もなお時代の先端を行くジョン・ケイルが、アルバム『POPtical Illusion』を〈Domino〉からリリース。
その遊び心あふれるタイトルに騙されることなかれ。彼は自分勝手な資本主義者と悔悟の念のない詐欺師たちがこの世界の驚異と人々の善性を意図的に破壊してきたことに対して、激しく怒り続けている。『POPtical Illusion』は、アニマル・コレクティヴ、シルヴァン・エッソ、ローレル・ヘイロー、テイ・シ、アクトレスら豪華ゲストが参加し、探究心と猛烈さを併せ持って絶賛された2023年の前作『Mercy』からわずか一年と少しで完成した。しかし本作は『Mercy II』でも、没曲を集めたものでもない。事実、60年以上に及ぶキャリアを通じて、ケイルが同じことを繰り返した例はない。彼の時代を切り拓く熱意は、恍惚的古典主義と自由なロック、伝統的な作曲法と堂々たる不穏さを備えた電子音楽の再構築のあいだを移り変わってきた。そして『Poptical Illusion』では、シンセサイザーやサンプリング、オルガンやピアノの迷路にほぼひとりで潜り込み、渦巻く希望のような、それでもまだ変化は可能だという賢明な主張のような言葉を伝えている。ケイルにとって長年の創作上のパートナーであるニタ・スコットがロサンゼルスのスタジオでプロデュースした『Poptical Illusion』は、怒りとその理由を決して無視することなく、しかし未来に向かおうとしている人物の作品だ。
ケイルは、パンデミックのあいだに心の中で何かが変わったとたびたび発言している。80歳を目前にして、自分はかつて同じ時代を生きていた人々の多くが経験しなかった時代を生き、そこで創作していることに気づいたのだ。彼はそれを記録したかった。わずか1年ほどのあいだに80曲以上を書き、この時期における人間のさまざまな経験を集合的に見渡そうとした。ユーモアが落胆に流れ込み、後悔は寛容に道を譲り、悲しみはシュルレアリスムと絡み合った。さらに、ケイルは自分を古老の立場に追いやったり、傍観者として現代に不平を言ったり、かつてのやりかたを懐かしんだりは決してしなかった。ジョン・ケージとアーロン・コープランドの両方に師事し、クラシックの訓練を受けたヴィオラ奏者である彼は、昔からヒップホップの熱心なファンでもある。とりわけそのテクノロジーを駆使して多次元的なテクスチャーを創り出したり、驚くべきメロディーを構築したりする創造性に傾倒してきた。『Poptical Illusion』は、そうした感情や熱狂を1ダースのエレクトロニックな遊び場に統合し、ケイルの威厳ある歌声が駄洒落や洞察、苦情や警句、人生やある種の真実を織り交ぜながら、そのすべてを横切っていく。
ジョン・ケイルはその輝かしいキャリアを通して時代の先端を切り拓き続けている。彼が『Sun Blindness Music』で取り入れた当時最先端のドローンは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドへの道を拓いた。パティ・スミスやストゥージズのプロデュースは言うまでもなく、『Fear』や『Slow Dazzle』の熱狂的なロックは、その後に続くパンク、ポストパンク、アートロックの半世紀の枠組みを作った。そして、ロックにおいて電子音響がギミック以上のものになり得ることを示す彼の好奇心は、無数の重要なシーンにインスピレーションを与えた。ケイルは『Poptical Illusion』で、ふたたびこの時代のミュージシャンとして立ちあがる。彼は昨今の歴史の組織化された大混乱を見て、うんざりして眉をひそめ、それから未来に向かって踵を返す。たとえ彼が、我々と同様、そこで何を見つけるのか、または自分が何者になるのかわかっていなくても。彼はただ喜んで前に進んでいるのだ。
国内盤CDはボーナス・トラックが追加収録され、解説書・歌詞対訳が封入される。
(メーカー・インフォメーションより)
01. God Made Me Do It (don't ask me again)
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