・限定499部(ナンバリング付)
・吉増剛造による「手書き作品」1点同梱
・吉増剛造「直筆サイン」
・付録として〈長篇詩 石狩シーツ〉朗読映像「石狩の時間の皺皺皺皺…」のDVD付ほか
*上の写真は、本書の書影、本扉、別丁扉(全てに吉増剛造直筆サイン+ナンバリング付)、本書に同梱されるDVDとCD2枚の盤面
🟣本ならざる本へ、声と光と香のゆらぐ無造作な束(タバ)!🟣
現代最高の詩人、そしてアート業界でも注目される吉増剛造。
その吉増が、2020年4月から2021年11月まで、1度も休むことなく1週間に1度制作しつづけた、詩的映像日誌「gozo's DOMUS」が、このたびコトニ社から『DOMUS X』という名の書物となって、2024年3月7日に発行されます。
「gozo's DOMUS」は、吉増剛造の最後の詩集『Voix』(思潮社)、そして渾身の究極詩論『詩とは何か』(講談社)の執筆過程と伴走するようにして制作され、この2冊の完成をもって終わりました。
日本を代表する詩人の詩的生活や、言葉を編んでいくその創作風景が織り込まれた貴重な映像を、書物にするにあたり考えだされたコンセプトは、「本ならざる本へ、声と光と香のゆらぐ無造作な束!」
この本を手にする読者は、内容もさることながら、その異様ともいえる装丁に驚かれるはずです。
現代の規格化された本のかたちへのアンチテーゼ、あるいは未生の本への挑戦とも言えるその造本は、常に型を破り続けてきた吉増剛造のこれまでの詩業そのものです。
『DOMUS X』を発売するにあたり、この本のためだけのECサイト「吉増剛造 DOMUS X 書店」を開店しました。
本書の刷り部数は499部のみ。
たとえ売り切れたとしても重版はできません。
もちろん普及版も発売できません。
【付録】
🔴吉増剛造による手書き作品、『DOMUS X』1部につき1枚
(肉筆原稿、あるいは直筆赤字入り校正刷りなどの手書き作品)
(ランダムに封入されますので、手書き作品を選択することはできません)
🔴吉増剛造直筆サイン入り別丁扉(ナンバリング入り)
🔴映像データ(DVD):"i"CITY(10分)+Oh! Mademoiselle Kinka!(5分)+Postcard Ciné(5分)+Smoky Diary(7分)+Voix Ⅰ(5分)[以上、マンチェスター国際芸術祭出品]、石狩の時間の皺皺皺皺…(45分/〈石狩シーツ〉朗読映像/映像:鈴木余位/企画:藪前知子)[札幌国際芸術祭出品]
🔴音声データ1(CD):マリリアの歌
🔴音声データ2(CD):詩的映像日誌「gozo's DOMUS」の声、音、歌
【構成】
第1部(フルカラー):gozo's DOMUS
#1(23 APR 2020)〜#82(11 NOV 2021)/写真図版多数収録
第2部(モノクロ):次の方々の論考。石田尚志[画家・映像作家/多摩美術大学教授]、今福龍太[人類学者/東京外国語大学名誉教授]、木口直子[田端文士村記念館研究員]、建畠晢[詩人・美術評論家/埼玉県立近代美術館館長]、藪前知子[東京都現代美術館学芸員]、吉成秀夫[書肆吉成代表](五十音順)
【発行日】2024年3月7日
【本体価格】18,000円
【限定部数】499部
【判型】菊判(縦225mm×横150mm)
【造本】上製、本表紙レインボー箔押し、コデックス装、天アンカット、シュリンク包装、DVD1枚+CD2枚付
【予定頁数】248頁(カラー184頁/モノクロ64頁)
DOMUS X(エックス) 書物の穹窿(きゅうりゅう)吉増剛造 |
”懐かしい、すぐ傍(そば)の昔が。”ふと漏れたこの小声は、久しぶりの嬉しい古書メールマガジンさんからのご依頼をよろこぶ心と、古本、古書がそっと漏らした小声であったのかも知れなかった。しかしながら『DOMUS X(ドムス・エックス)』は、”本ならざる本”=”木ならざる木”これもすこし変わった小声なのだ。”本ならざる本”=”木ならざる木”から、そう”家ならざる家”といい替えることも出来るのではないのだろうか。 コトニ社の後藤亨真氏、書肆吉成の吉成秀夫氏、田端文士村の木口直子さん、そうして剛造とマリリアさんが、”家ならざる家”の家族なのだが、もうおひとり、その”お家(うち)”の天上に、幻の大樹が光に戦(そよ)ぐ美しい枝葉を揺らしていて、その幻の大樹がオーケストラの指揮者の役目を果たされた、装幀家宗利淳一氏である。 DOMUS(ラテン語の家)と名づけたのはマリリアさんだった。X(えっくす)は剛造。卓越した技術の図書印刷さん、澁谷さんと岩瀬さんにも深謝を。 小文を綴りはじめてからもう十日か二週間、立ちどまり考えても考えても、DOMUS X(エックス)の樹下に辿りつかない。おそらく、しばらく考えていて、気がついていた。この”辿りつかなさ”は、日記性にあったのではないのだろうか。誰もなし得ないような「日記性」に、……。勿論、毎週木曜日に発信するので、ポルトガル語でQuinte-feiraキンタフェーラと名付けているのですが、ここにおそらく”誰も知らない日記性”が、隠れて胚胎していたのかも知れなかった。考えてみると、写真ご担当の木口直子さんとの出逢いが、その”めばえ”に似ていた。芥川龍之介展ご担当の木口さんの写真の切り出し=瞬間の別の切り口をみる眼に驚いたときの、そのときとの出逢いも、この”誰も知らない日記性”にあったのかも知れませんでした。後藤さんとも吉成さんとも。地縁もあるいは、この日記性とつながっている。札幌あるいは札幌大学が縁だった……。とすると故山口昌男氏、この大学者の俤も、このDOMUS X(エックス)の背景にはっきりとうかびあがってくる。そして吉成、後藤氏の師でもある今福龍太氏の姿と心もまた、……。あるいはサンパウロに立つ、ガローアという霧もまた、……。地縁、風土性を、”誰も知らない日記性”に倣(なら)っていい変えてみると、少し飛躍してですが”心の周波数性=soul’s frequency”と名付けることも叶う。そう、つまり、”家なき家”の”スタッフならざるスタッフ”は、何処にもないような放送局=stationを創ろうとしたのだった。カソリックのstation dayは金曜日なのだが、……。 ”編集なき編集”とくにこれはコトニ社後藤亨真氏、書肆吉成の吉成秀夫氏のお心を憶測、推量してのことなのだけれども、折しもコロナ禍のさなかにあって両氏のお心の底に、”編集の潮目”といったらよいのか、発生状態への模索への意志があったのではなかったのだろうか。”コンピュータ難民”というよりも、”盲目的な発信者/剛造”を、その”潮目の渦潮……”に晒すという決断があったらしい。そして、優れた指揮者、枝葉を揺らすひと、宗利淳一氏も後藤亨真氏も想像をしなかった筈の”書物ならざる書物”が2024.3.7.に誕生することとなった。不知の未来の現在である、とわたくしは想う。 わが親友(とも)にして、後藤、吉成両氏の師でもある今福龍太氏は刊行寸前の2024.3.1(受信)に、次のような驚異のVisionを伝えて来てくれた。”DOMUSはドームDome 半円球の涯てなき天球なのだ”と。この刹奈、DOMUSは小さなそして巨きな天球宇宙となったのだった。その天球の歌手Marylyaさんのご挨拶をここに。 ”懐かしい、すぐ傍(そば)の昔が”冒頭でふと漏れたこの小声は、穹窿(きゅうりゅう)の何処に居るのか、黄金虫(こがねむし)か、蜻蛉(せいれい)の親たし気な小声だったのか知れなかった。 |
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