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2020年6月15日月曜日

書籍 : 安西水丸『青の時代』


安西水丸『青の時代』

87年 青林堂

白土三平の『カムイ伝』連載終了後(71年)の『ガロ』も林静一、鈴木翁二、安部慎一といった個性的な漫画家が誌面を飾ったが、売り上げ自体は右肩下がりの下降線を辿る様になる。そこで70年半ばにガロ編集長に就任した南伸坊は「面白主義」を唱え、従来のカテゴリーに当てはまらない「笑い」をテーマにした作家を登場させる。その絵柄は漫画というよりイラストぽかったり、或いは漫画は本職ではないイラスト
レイターに描かせるみたいな試みも多かった。
 安西水丸もその一人で平凡社のアート・ディレクターを担当していた頃、ガロで連載していた平凡社の同僚・嵐山光三郎(現・作家&エッセイスト)のコラム内でオマケみたいな四コマ漫画を描いていた。その嵐山に誘われる様な形で嵐山原作の『怪人二十面相の墓』前後編を74年9~10月号に描き正式ガロデビュー。以来78年10月号まで休みなしにガロに執筆している。必ず巻頭(という事はカラーページ扱い)か巻末に掲載されていたというから、この時期のガロのエース漫画家は安西水丸だったと言っていいだろう。
『青の時代』にはその頃の安西水丸の漫画が収められ、彼の最初の漫画単行本になった。初版は80年に出版。笑いを重視していたはずの南伸坊が笑いに乏しいというか、読者を笑わせるのが目的でない安西水丸のストーリー漫画を高く評価していたのにはどういう理由があったのだろう?
『青の時代』は、俗には青を背景にした画を多く描いていたパブロ・ピカソの若かりし時代の事を指す。安西水丸の漫画も同じく若者、もっと遡って少年が主人公だ。安西水丸は元々は東京赤坂のお坊ちゃ育ちだが喘息を患い、幼少時代母の郷里である千葉県佐倉に引っ越し少年期をこの地で過ごす事に。『青の時代』の主人公の少年の名は「のぼる」、安西水丸の本名と同じだ。
 都会生まれの彼にとって千葉の田舎町の生活は馴染みにくいだった事は想像がつくし、学校生活も決して楽しい物ではなかったはずだ。でも優等生だったのぼるは大人、それも特に女性から好かれたらしい、そもそも彼の家族は姉が五人もいる女系家族だったという(安西水丸は末っ子だった)。そんな生活の中子供の目から見た大人が繊細なペンタッチで描かれている。
『少女ロマンス』(ガロ75年1月号掲載)ではのぼるは嫁いでいく姉の姿に涙し、不在の姉の部屋に残された少女雑誌に思いを馳せ、『荒れた浜辺』(ガロ75年4月号掲載)では偶然出会った、早くに亡くなった父と訳アリだったらしい女に憧れじみた気持ちを抱く。優等生の特権でのぼるは『草競馬』(ガロ75年11月号掲載『千倉町美学』を改題)では美人のクラス担任教師の家に遊びに呼ばれたが、その旦那が思っていたような人間ではない(肉体労働系)事に違和感を覚えたりする。
 のぼるはイガグリ頭で表情の変化に乏しい、俗に言うヘタウマ系に描かれているが、これは人前ではあまり動じない彼の大人びた(マセた)性格を顕しているのだろう。それに比べ女は簡素なタッチながらも常になまめかしく描かれているのが特徴。そういう女たちに囲まれて成長したのぼるは、表題作『青の時代』(75年3月号掲載)では画学生として登場し同級生らしきと肌を合わせる。先の見えない寄る辺ない自分の生活を簿幸の画家・モディリアニと重ね合わせる、センチメンタリズムが儚さと切なさを感じさせる。
 そんな風に『青の時代』には、安西水丸自身の少年時代~学生時代に感じた実感めいた物がフィクショナルな形式を借りて描かれており、元祖・ヘタウマ系漫画家としての彼しか知らない人が読んだらビックリするのではないか。80年代以降はイラストレイターや漫画家のみならず小説家やエッセイストとしても活躍する事になる安西水丸の、原点がこの『青の時代』に収められた作品だと思う。
『青の時代』に比すると俺の少年時代は、勿論憧れたお姉さんとかもいたりはしたけれど、それに対する感情はもっと猥雑な物だった。漫画作品という事を差し引いても、まだ東京から近い千葉県育ちと東京から遥かに離れた裏日本という出自の違いがあったりするのだろうか。(引用)

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